2014年 06月 04日
4月の熊本散歩(思いだしアップ) その2 |
一つ前の記事、4月の熊本散歩(思いだしアップ) その1の続きです。
円筒分水で大夫時間を取ってしまいました。既に昼に近くなっておりましたので、高千穂へ向かった移動開始。途中旧清和村の清和文楽邑という道の駅で食事を済ませ、次の立ち寄り先が「幣立神宮」。この神社に前回立ち寄ったときには、雨で足下が悪くて行けなかった東御手洗という社のある場所を探索。
この神社まだまだパワースポットとして人気があるようで、御朱印帳を持った女性グループなどとすれ違っていますし、東御手洗の湧き水をペットボトルに入れて持ち替えるために来ている方も多いようです。
東御手洗まで、どれくらい離れているかも分からなかったので本殿前でGPSにポイント記録、本殿左手の階段を下りて、東御手洗まで歩き始めたのでしたが、池の脇で、距離を確認したら意外と近くて拍子抜け(笑)本殿自体が参道入り口の面した道路に並行した稜線の上にある感じで、その稜線の裏側斜面を本殿真裏から東北東に水平距離で150mほどにありました。谷地奥の小さな池の脇に社殿。浅い小さな池には、イモリ(たぶん)多数。谷地は水田。ちょろちょろと湧き水もありますし、好きな方がいらっしゃれば、それなりに感じそうな気配ではありました。ただ、水平距離で150mとはいえ、一応高低差のある山道。駐車場から石段を登り、本連裏から山道なので、歩きやすい靴でないとオススメ出来ませんです。この神社何回か参拝してますが、いつ来ても南阿蘇にある宝来宝来神社と同じ気配が致しますね。だから立ち寄ってしまうのかもしれないのかもしれません(笑)
この神社には、西御手洗というのがあるらしいのでそれを探しに行こうと、懲りずに考えながら、少し時間を気にし始め、午後1時過ぎ、高千穂へ移動開始。
幣立神宮から、30分ほどで高千穂、くしふる神社に到着。この神社は、前回高千穂へ来たときに、高千穂神社から歩いて参拝しようと試みて、時間切れで参拝を中止した神社なのでした。社名も珍しいですし、途中で折り返してしまって気になっていたので再訪ということなのですが、それ以外の訪問理由は特にありません。天孫降臨にかかわる神社で、もっと小さな社かと思っていたら、境内も広いですし、存外立派な神社なので驚きました。どうも自分は、近所にある「高天原遙拝所」という伝承の場所の写真とこの神社を取り違えていたようです。
参道入り口の鳥居のから100m程にある、石段を登った先に、本殿があります。風情のある参道ですね。本殿の少し点前までgoogleのストリートビューがありました。
石段の先の社殿は、拝殿と三間社流造りの本殿。拝殿と本殿の間の滑り台の様なものはどんな用途のものなのでしょうか。雪落としでしょうかね。今のところナゾです。
本殿の三手先斗栱や装飾の彫り物はなかなかりっぱです。屋根は銅板葺き。江戸元禄期の建物らしいのですが、銅板のような高価なものを使うほどの財力が高千穂にあったのですから凄いですね。もしかしたら創建時は檜皮などで後日銅板葺きに葺き替えられたのかもしれません。境内の杉木立も立派ですし、静寂さと併せて、とても心の落ち着く神社です。
杉木立の中でマッタリしていたら、午後2時過ぎ。人吉で午後5時過ぎくらいから打ち合わせ、などという予定がありましたので、チョッピリ慌てて。高千穂を出発致しました。ということで、結局高千穂は此処だけ(苦笑)
人吉までは、いつもの椎葉村経由のコースで山道130km。一旦来た道を県境から少しだけ熊本県内まで戻り、また宮崎県五ヶ瀬から、椎葉村へ。椎葉ダム脇を通り飯干峠を越えまた谷筋におりて、さらに湯山峠を越えてもう一度熊本県戻るコースです。一人で気ままに運転するには愉しいコースですね。五ヶ瀬から椎葉に入るあたりから、前後に車を見かけなくなり、椎葉ダムしたから湯山峠を越えて熊本県側に入って最初の集落あたりまでは、お約束のようにほとんど車とすれ違いません。
湯山峠から市房ダム脇を少しくだったあたり、国道388号線が交差点で左折して湯前に向かうところを、今回は直進。国道388号線からはずれて、ただ、最終目的地に真っ直ぐ向かって走っただけなのですが、これがとても愉しいことになりました。あとで調べたら県道33号線という道路で、道路拡張の整備をしているようですが、けっこうな箇所で小型車でもすれ違い出来ない集落内の狭窄な場所が残っているような県道でした。しばらく走った右手に、見事な茅葺きのお堂のあるお寺に遭遇。それは見事な茅葺きです。迷うことなく駐車場に車を止め拝観。軒も棟も高いので少しユーモラスで、それでいて威厳のあるプロポーションのお堂です。青蓮寺(しょうれんじ)という真言宗系のお寺で、かやぶき屋根のお堂は、阿弥陀堂でした。お寺は鎌倉時代末期1295年に地元の領主相良家により開基され、今の阿弥陀堂は室町中期(1445年頃)に再建された建物ということのようです。球磨で茅葺きというと、先年国宝指定された青井阿蘇神社の楼門をすぐに想い出しますけれど、青井阿蘇神社の楼門は1600年代初なので、こちらの方がさらに150年以上古い茅葺き建物なのでした。5間5戸の正方形で、お堂の基礎部分は、基壇などはなく平坦な地面に不揃いな自然石の礎石を置いて、そこに柱を載せているだけ。床下は中心を除いて吹きさらし。中心部に仏像が安置されていて、内陣外陣に分けた堂内らしいのですが板戸が閉まっていて拝観出来ず残念。既に午後5時近かったので、もう少し早い時間帯なら拝観出来たかも知れませんね。また、次のお愉しみ出来ちゃいました(笑)
お堂の廻りをぐるぐる2周して、その分打ち合わせ予定ポイントへの到着が20分ほど遅れましたが、打ち合わせも無事終えましたし、まずまずの一日でした。
翌日は、五木から、大通越、旧東陽町、旧泉村、砥用、緑川沿いに御船を経由して熊本空港に戻りましたが、また別記事でとします。
秋葉@ゑこう
この神社まだまだパワースポットとして人気があるようで、御朱印帳を持った女性グループなどとすれ違っていますし、東御手洗の湧き水をペットボトルに入れて持ち替えるために来ている方も多いようです。
この神社には、西御手洗というのがあるらしいのでそれを探しに行こうと、懲りずに考えながら、少し時間を気にし始め、午後1時過ぎ、高千穂へ移動開始。
本殿の三手先斗栱や装飾の彫り物はなかなかりっぱです。屋根は銅板葺き。江戸元禄期の建物らしいのですが、銅板のような高価なものを使うほどの財力が高千穂にあったのですから凄いですね。もしかしたら創建時は檜皮などで後日銅板葺きに葺き替えられたのかもしれません。境内の杉木立も立派ですし、静寂さと併せて、とても心の落ち着く神社です。
杉木立の中でマッタリしていたら、午後2時過ぎ。人吉で午後5時過ぎくらいから打ち合わせ、などという予定がありましたので、チョッピリ慌てて。高千穂を出発致しました。ということで、結局高千穂は此処だけ(苦笑)
人吉までは、いつもの椎葉村経由のコースで山道130km。一旦来た道を県境から少しだけ熊本県内まで戻り、また宮崎県五ヶ瀬から、椎葉村へ。椎葉ダム脇を通り飯干峠を越えまた谷筋におりて、さらに湯山峠を越えてもう一度熊本県戻るコースです。一人で気ままに運転するには愉しいコースですね。五ヶ瀬から椎葉に入るあたりから、前後に車を見かけなくなり、椎葉ダムしたから湯山峠を越えて熊本県側に入って最初の集落あたりまでは、お約束のようにほとんど車とすれ違いません。
お堂の廻りをぐるぐる2周して、その分打ち合わせ予定ポイントへの到着が20分ほど遅れましたが、打ち合わせも無事終えましたし、まずまずの一日でした。
翌日は、五木から、大通越、旧東陽町、旧泉村、砥用、緑川沿いに御船を経由して熊本空港に戻りましたが、また別記事でとします。
秋葉@ゑこう
by akiba-echo
| 2014-06-04 02:52
| 旅の話し
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