2008年 12月 31日
大晦日の夜、テレビを見ないで、テレビ番組を考える(笑) |
大晦日の夜、TVを見ているのが辛くなりますね。今のアナログ放送が完全に地上波デジタル放送に移行するときに、TVを捨てようと思う気持ちがますます強くなります。
今日の新聞(読売新聞文化欄)にも学習院女子大教授の石澤康治さんという方の「テレビ界 縮小均衡のワナに」という寄稿文があって、その中で「メディア経営の危機」というのを指摘しております。これは、午前中に当方が記事にした点と少し違う視点のものですが、「縮小均衡」という指摘は興味深い所です。
だいたいの論旨は…
アメリカでは新聞大手が経営破綻している、日本でも民法の在京キー局2社が上半期決算で赤字に転落した。理由はインターネットに広告収入が食われていることや経済的な落ち込みなのだが、問題は今後これにどう対応するか。経営環境が厳しくなった場合、TV界は「より少ない金額で視聴率がとれる番組」を指向し、視聴率の数字を採ることが目的化しがち、これにより番組作りの姿勢が低俗・硬直化する。「どこかで人気の高かった企画があると、他局も一斉にそちらに流れる」ようになる。コンビニの経営者の談話を引いて、「データを見て売れ筋商品だけを並べるようになると縮小均衡になってしまう」とし、日本のテレビ界もその状況にあり、「口当たりのいい番組を並べて一定の視聴率を獲得できたとしても、受け手はテレビに対して、思いがけない興奮を与えてくれるものとは認識しなくなる。インターネットには危うさがある一方、かつてテレビが発していたような、自由闊達さがある。テレビの活路はそちらにあるような気がする。
…というような内容です。
「縮小均衡」というのは言い得て妙かもしれません。ただ、今のようなスケールの大きなメディアの存在自体が、そのまま今のように、今後も続くのかどうか、そう言う懐疑的な視点からみると、ちょっとテレビ界に優しい結びの様な気がしないでもないです。
そんな、こんなで、ふと「メディアはメッセージである」としたマーシャル・マクルーハンのことなど思い出し、彼の著書など、もう一度読み直してみたいと思う大晦日の夜ではあります。書架のどこかに一冊あるはずなのだけれどなぁ…
秋葉@ゑこう
今日の新聞(読売新聞文化欄)にも学習院女子大教授の石澤康治さんという方の「テレビ界 縮小均衡のワナに」という寄稿文があって、その中で「メディア経営の危機」というのを指摘しております。これは、午前中に当方が記事にした点と少し違う視点のものですが、「縮小均衡」という指摘は興味深い所です。

だいたいの論旨は…
アメリカでは新聞大手が経営破綻している、日本でも民法の在京キー局2社が上半期決算で赤字に転落した。理由はインターネットに広告収入が食われていることや経済的な落ち込みなのだが、問題は今後これにどう対応するか。経営環境が厳しくなった場合、TV界は「より少ない金額で視聴率がとれる番組」を指向し、視聴率の数字を採ることが目的化しがち、これにより番組作りの姿勢が低俗・硬直化する。「どこかで人気の高かった企画があると、他局も一斉にそちらに流れる」ようになる。コンビニの経営者の談話を引いて、「データを見て売れ筋商品だけを並べるようになると縮小均衡になってしまう」とし、日本のテレビ界もその状況にあり、「口当たりのいい番組を並べて一定の視聴率を獲得できたとしても、受け手はテレビに対して、思いがけない興奮を与えてくれるものとは認識しなくなる。インターネットには危うさがある一方、かつてテレビが発していたような、自由闊達さがある。テレビの活路はそちらにあるような気がする。
…というような内容です。
「縮小均衡」というのは言い得て妙かもしれません。ただ、今のようなスケールの大きなメディアの存在自体が、そのまま今のように、今後も続くのかどうか、そう言う懐疑的な視点からみると、ちょっとテレビ界に優しい結びの様な気がしないでもないです。
そんな、こんなで、ふと「メディアはメッセージである」としたマーシャル・マクルーハンのことなど思い出し、彼の著書など、もう一度読み直してみたいと思う大晦日の夜ではあります。書架のどこかに一冊あるはずなのだけれどなぁ…
秋葉@ゑこう
by akiba-echo
| 2008-12-31 23:30
| 独り言
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