松花堂庭園散歩からの続きです。京都吉兆松花堂店で呼んでもらったタクシーで松花堂庭園から石清水八幡宮山上駐車場まで移動。移動中は土砂降りのひどい雨。台風15号と17号が近づいていましたし、これに刺激されて西日本各地で大雨が降っていました。山上までの道路は、男山の西斜面にあるので、男山の南にある松花堂庭園からは一旦枚方方面に南山麓を回り込んで、西側山麓の住宅地をすり抜ける感じのアプローチでした。住宅地を抜け山上に近づくに連れ雨脚が収まり、タクシーを降りて参道を歩き始める頃には傘がいらなくなっておりました。
流石に歴史のある立派な神社です。この神社には重森三玲の作庭した庭と今の松花堂庭園の場所に移される前の「泉坊」の跡地が中腹にあります。山上の参道を三の鳥居まで戻って、参道を歩いてまず参詣。途中右手に書院があってその前が重森三玲が作庭した庭があるはずなのですが見つけられませんでした。参拝後にお札の授与所で尋ねると、社務所の隣にあるとのこと。書院石庭の門が閉まっていて分からなかったのでした。授与所から社務所に電話していただき、社務所の方に門を開けてもらいました。門より先は入場禁止。書院前石庭は、思ったより狭い石庭で配置している石もなんだかその辺にあったような無造作な石があったりして「あれっ」と思わせる庭ではありました。台風で倒壊した鳥居の石材なども使っているということですからそういう感想は当然なのかもしれませんね。
社務所の脇から裏参道に入り、松花堂(泉坊)跡地に向かいましたが、大雨で参道が崩れ通行止。松花堂跡地はまたの機会として、裏参道から展望台経由でケーブルカーの男山山上駅に。展望台では当方のみ(笑)霞んでいましたがなんとなく京都市内方面を展望。松花堂跡地はこの展望台より低い位置にありますが、樹木を低く抑えておけばほぼ同じような展望であったのでしょう。松花堂美術館のデータベースによると、1938年発行「茶道月報」336号に堀口捨巳先生の「泉坊の松花堂と其庭園」という論文があるらしいです。ググって見たら「松花堂の茶室と遠州好み」という一文が鹿島出版が復刻した堀口捨巳全集「茶室研究」にあります。これは日本建築学会のサイトの蔵書リストにもあるので、そのうち田町にある建築学会の図書室にもでかけなければなりませんね(笑)
ちなみに上の写真に写っては居ませんが、この写真の左手の場所には、「待庵」という有名な茶室のある「妙喜庵」という臨済宗東福寺派系列のお寺があります。こちらも「そのうち訪問」したいと考えながら帰路についたのではありました。展望台写真のタイムスタンプは13時40分ごろ、石清水八幡について最初の写真が13時10分ごろなので、たったの30分の訪問ではありました。ほとんど乗客無しのケーブルカーに乗り男山を下り、京阪から近鉄と乗り継ぎ京都へ。京都駅の自動販売機ですぐに乗れる新幹線の切符を購入し明るいうちに東京の家まで帰り着いたのでした。散歩の相方の具合も良くなかったので早帰りというところです。
秋葉@ゑこう