2014年 10月 28日
奈良県五條市の栄山寺・人の気配の無い古刹 |
少し前、8月末の京都での用事のついでに出かけた奈良和歌山の続きです。
高野山奥の院の早朝参詣を済ませて、いったん宿へ戻り帰り支度。午後3時に京都市内四条河原町へ行きたかったので、急ぎ足で金剛峰寺へお参りして、高野山を下りています。残り時間も少なくなりましたので、粉河寺や根来寺のことを思い浮かべながら少し悩んで、結局40kmほど離れた奈良県五條市の栄山寺(「榮山寺」が正しいようですがここでは「栄」にします)へ移動することに。途中、ちょっと寄り道をして11時ごろ栄山寺に到着。
栄山寺は、奈良時代初期(719年)に創建した歴史のある古刹なのですが、今は参詣する人も少なく大変閑散としたお寺になっています。開山時には興福寺の系列でしたが今は真言宗豊山派。豊山派は、ボタンで有名な長谷寺が総本山なのですが、このお寺は豊山派の本部のある東京都文京区にある護国寺の末寺になるそうです。ちなみに地元に檀家さんなし。この寺の駐車場に車を止めた近所の方から立ち話で伺いましたが、近隣の方はほとんど近くの観音寺(五條市の)の檀家さんのようですね。なので、地元の方々からもアウェイな感が漂います。
前置きが長くなりましたが、そんな栄山寺なのですが、奈良時代建立の八角円堂や、平安期の梵鐘、鎌倉初期の燈籠などの国宝や重要文化財の石塔などのある古刹なのです。でも、日曜日の昼前なのに人の気配なし。拝観料を払おうと思い受付を見てもこちらも人の気配なし。なので、勝手に境内に入らせていただきました。
高野山奥の院の早朝参詣を済ませて、いったん宿へ戻り帰り支度。午後3時に京都市内四条河原町へ行きたかったので、急ぎ足で金剛峰寺へお参りして、高野山を下りています。残り時間も少なくなりましたので、粉河寺や根来寺のことを思い浮かべながら少し悩んで、結局40kmほど離れた奈良県五條市の栄山寺(「榮山寺」が正しいようですがここでは「栄」にします)へ移動することに。途中、ちょっと寄り道をして11時ごろ栄山寺に到着。
栄山寺は、奈良時代初期(719年)に創建した歴史のある古刹なのですが、今は参詣する人も少なく大変閑散としたお寺になっています。開山時には興福寺の系列でしたが今は真言宗豊山派。豊山派は、ボタンで有名な長谷寺が総本山なのですが、このお寺は豊山派の本部のある東京都文京区にある護国寺の末寺になるそうです。ちなみに地元に檀家さんなし。この寺の駐車場に車を止めた近所の方から立ち話で伺いましたが、近隣の方はほとんど近くの観音寺(五條市の)の檀家さんのようですね。なので、地元の方々からもアウェイな感が漂います。
前置きが長くなりましたが、そんな栄山寺なのですが、奈良時代建立の八角円堂や、平安期の梵鐘、鎌倉初期の燈籠などの国宝や重要文化財の石塔などのある古刹なのです。でも、日曜日の昼前なのに人の気配なし。拝観料を払おうと思い受付を見てもこちらも人の気配なし。なので、勝手に境内に入らせていただきました。
このお寺の「八角堂」は、様式的には「八角円堂」と呼ばれるもので、法隆寺東院の夢殿などが良く知られています。栄山寺の八角堂も、法隆寺東院の夢殿も奈良時代のもので、八角円堂では現存最古の建物なのですね。建立してから軽く1200年以上経つ木造建物です。
軒裏も、奈良期の特徴的な様式。軒裏の垂木が二重になっている、二軒垂木(ふたのきたるき)で先端の飛燕垂木が断面が角ばっていて、軒奥の地垂木の断面が丸くなっているのが、奈良期の二軒垂木の特徴です。
しばらく拝観していたら、警備システムのアラートに反応したらしい寺守の方が出現。拝観料を請われました。すでに、賽銭箱に拝観料2人分くらいを納めていましたが、一応もう一度お納めして、案内資料を受領。暇そうだったので30分ほど立ち話。話の流れで、八角堂の裏の唐戸を開放し、内陣を見やすくしていただきました。ご本尊上に四本柱で格天井の天蓋風内陣があり、格天井には彩色された絵がかすかに残っていましたが、絵を始め建物自体も劣化が進んでいるのがとても残念。これを、こんな状態で放置してよいのかと思いますが、修繕費用の公的補助があってもわずかな観光収入のみの寺院にとっては自己負担分が大きくて耐えられないようです。
軒裏も、奈良期の特徴的な様式。軒裏の垂木が二重になっている、二軒垂木(ふたのきたるき)で先端の飛燕垂木が断面が角ばっていて、軒奥の地垂木の断面が丸くなっているのが、奈良期の二軒垂木の特徴です。
しばらく拝観していたら、警備システムのアラートに反応したらしい寺守の方が出現。拝観料を請われました。すでに、賽銭箱に拝観料2人分くらいを納めていましたが、一応もう一度お納めして、案内資料を受領。暇そうだったので30分ほど立ち話。話の流れで、八角堂の裏の唐戸を開放し、内陣を見やすくしていただきました。ご本尊上に四本柱で格天井の天蓋風内陣があり、格天井には彩色された絵がかすかに残っていましたが、絵を始め建物自体も劣化が進んでいるのがとても残念。これを、こんな状態で放置してよいのかと思いますが、修繕費用の公的補助があってもわずかな観光収入のみの寺院にとっては自己負担分が大きくて耐えられないようです。
上の写真は室町後期(戦国時代)に再建した本堂。本堂手前の燈籠は鎌倉時代のものでなにげに重要文化財指定です。
梵鐘も国宝。鐘楼は鉄筋コンクリートの情けない作りですが、梵鐘は西暦917年製。ちなみに、これ、今のところ触れます。1100年の歳月の重みを手で触れることができます。ただ、触れる場合は、そっとやさしく、大事に、かつ遠慮がちに触れましょう。粗暴な方が出れば、格子の中に入ってしまいそうです。
この石塔は平安時代のもの。お堂の中の仏像や絵画も、歴史のあるものばかり。これをほぼ無人の境内で、静かに眺めて触れることができるこの国のあり様を、素直に誇ってよいと思うのですが、他方、このところの状況ですと、保全そのほかが少し心配になってしまいます。
人ごみが嫌いな自分にとっては、大変良い参詣になりましたが、観光収入のみのこのお寺にとっては、もう少し人出があった方がよろしそう。文化遺産の保存面からしたら、もう少し真剣に公的補助が必要と思わずにいられません。
ということで、栄山寺でツアー終了。長年気になっていたお堂を眺めて、あたふたと京都市内へとんぼ返り、途中若干想定外事項がありましtが、ほぼ定刻に予定地に到着。そこそこ満足な「ついでの旅」でありました。
秋葉@ゑこう人ごみが嫌いな自分にとっては、大変良い参詣になりましたが、観光収入のみのこのお寺にとっては、もう少し人出があった方がよろしそう。文化遺産の保存面からしたら、もう少し真剣に公的補助が必要と思わずにいられません。
ということで、栄山寺でツアー終了。長年気になっていたお堂を眺めて、あたふたと京都市内へとんぼ返り、途中若干想定外事項がありましtが、ほぼ定刻に予定地に到着。そこそこ満足な「ついでの旅」でありました。
by akiba-echo
| 2014-10-28 12:34
| 旅の話し
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