2015年 09月 08日
8月末雨の奈良県内を東から西に |
いつまで続くか分かりませんが、8月末に京都に出かけるのが恒例になっております。今年も、日曜の昼ごろ東京を出て、夕方知り合いの絵画グループの画展を拝見し、その後の懇親会に同席させてもらいました。画展に絵を出すように毎年お声がけいただきますが、古典油彩技法は敷居も高くてなかなかそれには至りません。それより、最近は画展のついでにでかける京都と奈良周辺の寺社めぐりのウエイトが高まっておりまして、こちらはそれなり愉しんでおります。
今年は、去年立ち回れなかった奈良県吉野方面、金峯山寺あたりを考えておりましたが、あいにく天候があまりよくなく、京都で借りた小さなレンタカーに乗って奈良方面に走り始めてすぐに方針変更(笑)ということで、中学校の修学旅行で出かけたことはあるけれど「寺社」を意識してから立ち寄れて居ない室生寺を最初の目標地点にいたしました。京都から国道24号線を南に走り、奈良市内から山越えで室生寺のある宇陀まで、案内看板(面白そうなの見つけたら後でチェックします)などをちら見しながら移動。奈良公園を抜けるあたりで、一箇所くらい立ち寄りしましょうということで、ほんの少しコースをはずして「新薬師寺」(上の写真)へ約四十年ぶりに再訪。本堂は奈良後期の古建築、このお寺のご本尊(薬師如来)や十二神将像は建物と同時期に造られたとても著名な仏像で、十二神将の一体は切手にもなっています。初回訪問は大学の「古建築実習」という授業でしたので、建物内部で「この天井は。。。。」などなど講義つき。この建物は、見かけの屋根(野屋根)とその下にもう一つ屋根のある構造なのですが、先日は天井裏から雨だれの音がしておりました。野屋根から雨漏りしていたのでしょうかね。日吉館という宿から寺をいくつもめぐり、ここへ歩いたかすかな記憶が境内を歩いてよみがえってきましたが道順は記憶の向こうに消えています。ただ、十二神将を眺めながら、ふと日吉館のことを思い出して、泊まれてよかったなどと、昔を振り返っておりました。 新薬師寺の近所にもたくさん見所はありますが、とりあえず立ち寄りでしたのですぐに室生寺に向かって移動再開。奈良公園の少し南から奈良市東側の山の中を走り室生寺のある宇多まで移動。途中、一台峠(いちだいとうげ)などという風情のある名前の峠を越える山道を通過しましたが、峠の入り口から、反対側の出口交差点まで一台も対向車なし。奈良市もこの辺りまで来ると静かですね。山の中を一時間ほど走って室生寺に到着。室生寺の境内に続く2つある橋のうち一つの袂にある茶店の駐車場を借りて小雨の中を参拝。山門から五重塔辺りまで歩きましたが、奥の院となる大師堂は断念いたしました。大師堂はいつか改めて参拝いたします。
ちなみに、こちらの五重塔は、元興寺と海龍王寺五重小塔を数に入れれば五重塔として現存するものとして4番目に古いもののですが、先年の台風被害の修繕でずいぶん綺麗になっていました。修学旅行で参拝したときの色などはっきりと記憶にありませんが塗装などは落ちた木材の地だけの記憶は残っています。最後の塗装は明治期であったとのことなので、その頃は塗装が落ちていたのでしょうね。修繕のことはインターネットに「あかい奈良、再録室生寺」という詳しいページがありますのでご参照ください。桧皮の採集や葺き替えのことなどとても興味深い記事です。
こちらの金堂にもご本尊の釈迦如来の手前に十二神将が配置されております。たまたまらしいのですが十二体そろっているのは珍しいと、参拝されている方が話しておりました。すべて立像で金堂の内陣はなかなか荘厳な雰囲気でした。
ちなみに、こちらの五重塔は、元興寺と海龍王寺五重小塔を数に入れれば五重塔として現存するものとして4番目に古いもののですが、先年の台風被害の修繕でずいぶん綺麗になっていました。修学旅行で参拝したときの色などはっきりと記憶にありませんが塗装などは落ちた木材の地だけの記憶は残っています。最後の塗装は明治期であったとのことなので、その頃は塗装が落ちていたのでしょうね。修繕のことはインターネットに「あかい奈良、再録室生寺」という詳しいページがありますのでご参照ください。桧皮の採集や葺き替えのことなどとても興味深い記事です。
こちらの金堂にもご本尊の釈迦如来の手前に十二神将が配置されております。たまたまらしいのですが十二体そろっているのは珍しいと、参拝されている方が話しておりました。すべて立像で金堂の内陣はなかなか荘厳な雰囲気でした。
石塔で十三重というのはよくありますが、木造の十三重の塔というのはこれしかありません。なので自分の訪問候補リストの順位はまぁまぁ上位です。
最初にこの場所にお寺ができたのは西暦687年という伝承があるそうで、これは法隆寺の少し後くらいですね。最初に塔を建てたらしいのですが、この塔は1500年代(戦国時代)の再建。軒から落ちる雨だれが印象的でした。紅葉の時期は相当混雑するのでしょうけれど、夏の終わりは静かなもので、何軒か開いていた土産屋も開店休業な雰囲気でした。
談山神社の参拝を終えたのが午後1時過ぎ、午後6時くらいまでに京都駅そばのレンタカー屋に車を返す心つもりでしたので残り5時間。ここへ来るまでに、室生寺の駐車スペースを貸してくれた茶店の回転焼き(大判焼き)を2個と、コンビニのおにぎりを一個運転しながら食しておりましたので、昼食タイムも省略で次の場所へ。
談山神社の駐車場からとりあえず山越えの道を奈良盆地側へ走ることにいたしました。峠を越えると明日香村なんです。峠道を下りたところが、明日香村石舞台のある公園の真ん中。ちょうど何かイベントを開催していたみたいで、天候は良くありませんでしたがそこそこの人出。駐車場に入って見学というのもありかとちょっぴり思案しましたが、ガードマンの交通整理を見て却下。通り道沿いにあるいろいろな案内板を眺めながら、奈良県葛城市當麻まで1時間走行。
日曜日でしたが、當麻寺は人出もそれほどでなく、なんなく山門脇の駐車場に車を駐車し境内に。山門、撞楼、中之坊、曼荼羅堂、金堂、講堂を拝見。金堂と講堂は南北に並んでいていて、東と西の三重塔は金堂の南にあるのですが、その先は當麻寺の塔頭だと思う寺とその墓地です。山門から、このお寺の本堂である曼荼羅堂への動線とはまったく無関係の伽藍配置なので不思議ですね。金堂の内陣の弥勒仏は南に向かっておりますので、主動線側の唐戸から入るとご本尊の背中側から回り込んで参拝することになります。
観光案内系の資料にはあまり詳しく載っていないのですが、當麻寺にも「大師堂」があります。江戸期の小さな建物でぱっとしないためかお堂の扉が閉まったまま。一応、二宗並立とはいえ一応一つは高野山真言宗。なのにこのぞんざいな扱い何なのか、などと少し悲しくなることもありましたが、西南院の見晴台で紋切り型の當麻寺の塔の写真も撮れましたし、ほどほど満足して當麻寺を後にいたしました。
いつになるかわからない次回訪問のために土地勘をつけたかったので、葛城から大阪府交野市まで一般道を走行して、交野から高速道路で京都市内まで戻り午後6時少し前に京都駅着。良い具合に京都駅に戻れました。すぐに乗れる新幹線の切符を自動販売機で購入してそのまま帰宅いたしております。
来年もまた出かけることが出来るでしょうか。
by akiba-echo
| 2015-09-08 00:24
| 旅の話し
|
Comments(2)
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by
artist-mi at 2015-09-09 20:10
こんばんは。
室生寺の塔が破損した時はがっかりしましたが、もう直っているとは早い修理ですね。
立派に戻った姿は嬉しいです。
こう云う塔は雲南あたりの大工の流れがあるのかな ? あの辺は家ごとに塔を建てる様で
なかなかの大工がいっぱい居るそうです。
室生寺の塔が破損した時はがっかりしましたが、もう直っているとは早い修理ですね。
立派に戻った姿は嬉しいです。
こう云う塔は雲南あたりの大工の流れがあるのかな ? あの辺は家ごとに塔を建てる様で
なかなかの大工がいっぱい居るそうです。
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akiba-echo at 2015-09-10 01:31
こんばんは>miさん
すいません。「先年」という言葉遣いが良くありませんでした。
台風で近くの杉の木が倒れて塔が半壊したのが平成10年、修理は2年弱なので、平成12年末には終わっていたようです。復旧からもう15年経っているんですね。この塔の歴史は1200年くらいはあるようですから誤差のようなものですが、時の経つのは早いです。記憶に残ることは「少し前」と思っていても、意外と経過しているものですね。年をあけて同じ場所を再訪すると、とりわけそういう思いに強く駆られます。
すいません。「先年」という言葉遣いが良くありませんでした。
台風で近くの杉の木が倒れて塔が半壊したのが平成10年、修理は2年弱なので、平成12年末には終わっていたようです。復旧からもう15年経っているんですね。この塔の歴史は1200年くらいはあるようですから誤差のようなものですが、時の経つのは早いです。記憶に残ることは「少し前」と思っていても、意外と経過しているものですね。年をあけて同じ場所を再訪すると、とりわけそういう思いに強く駆られます。