2019年 11月 02日
長く通った割烹の灯りが消えた11月初日 |

神楽坂の露地の奥にあった割烹Kが10月末で廃業。この場所に移ってくる前は神楽坂の坂上にある小さな店でした。偶然ですが、1980年代の前半、仕事仲間と設立した会社の2番目に借りた事務所の近所。
昼の定食が美味しくて月に数回、それと時々取引先の方に夜をご馳走してもらっていたのです。そのころはまだ若かったし会社もそれほど贅沢は出来ず、割烹Kも少し良い感じの居酒屋程度でしたが、それでも夜はおごられない限り行きませんでした。そうこうしてバブルがはじけて設立した会社も消滅。その後自分の事務所を恵比寿に借りたのでしばらく神楽坂は離れていました。またしばらくして事務所を恵比寿から秋葉原に移し、家への帰り道だった神楽坂で夕方一人飯を始めたのが17~18年くらい前でしょうか。
自分がしばらく離れている間に割烹Kは露地奥の大変雰囲気の良い場所にある元料亭の建物に移転。凄く高級というわけでは有りませんがそれなりの割烹になっていたのです。そのころには自分も仕事が回りだして少し懐具合が良くなっていてボチボチと通うようになり、割烹で一人飯というのに馴染みが出来てきた気がします。そんなこんなで割烹Kはこのブログに数回登場しています。

割烹Kには元料亭の建物に移転したということもあるのかもしれませんが、芸者さんもけっこう出入りしておりました。Kに通いだして、芸者衆の一人で、近所に住んでいる地方のB姐さんとも時々すれ違いました。花街で「地方」は「ちほう」ではなくて「じかた」と読みます。踊りを踊る方が立方(たちかた)三味線や太鼓などを演奏するのがすわっているので地方です。
随分昔のとある夜、カウンターの隣席でB姐さんが酔っ払っていたので冗談交じりに一言二言。
ゑ「三味線習いたいのだけど、Bさん教えてくれるの」
B「あーら男はだめよ」
ゑ「なんで」
B「だってうちのコに虫着いたら困るでしょ」
うちのコっていうのは、B姐さん界隈の芸者衆の三味線や唄の師匠でしたので神楽坂の芸者衆のことなんですが、っって隣に座るオイら虫かいな、というのがその時の大爆笑な記憶(苦笑=そんな甲斐性はありませぬ)
そうこうして、十数年後、絶滅危惧にある神楽坂の料亭と芸者さんたちの文化を味わっておこうということで知り合い数人で料亭の座敷に上がり、当然地方にB姐さんをお願いいたしました。
ゑ「おいら昔、姐さんに虫呼ばわりされたことあるけどね」その他いろいろブツブツ
B「あーらそう、そんなこと言ったの。覚えてないわよ」
で終わり。いや、まあ、隣に何度か座っているけれど客でもないから覚えてる訳ないんですけれどね、ずーっと直接言いたかったので言えてすっきり。
そんなB姐さんも11月で完全引退。
割烹Kの最終日、Kの親方とB姐さん引退の話をしていたら最初に上がった料亭Yの座敷でB姐さんの三味線と唄で踊りを踊ってくれた少し馴染みの桃ちゃんも寿引退らしい。小遣い溜めてBさんの三味線聴きながら桃ちゃんの踊りを見ようと思っていましたが、それは難しくなりました。
派手な遊びはしていませんが料亭で少し芸者遊びも出来たし30数年割烹Kでいろいろ覚えたこともあったなどと、と思い返しながら締めに頼んだ小盛の鉄火丼、開店当初の店の定食でよく食べていたけれどマグロがアップグレードし過ぎていて昔の味ではありませんでした。
歳月人を擲ちて去る。。かな
☆ゑ
※割烹Kこと「神楽坂割烹越野」の皆さん、開店から最後までお付き合いいただきありがとう。B姐さんこと牡丹さんお体大事にお元気でね。
by akiba-echo
| 2019-11-02 05:15
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Comments(2)
今晩は。
我々の楽しかった時代が、スーッと消えてしまうのは
実に淋しいモノがあります。私の場合は横浜なのですが
当時の夢を偶に見ます。仲間の声だったり、店の装飾だったり
当時流行ったネクタイの柄だったり、街の臭いだったり。
我々の楽しかった時代が、スーッと消えてしまうのは
実に淋しいモノがあります。私の場合は横浜なのですが
当時の夢を偶に見ます。仲間の声だったり、店の装飾だったり
当時流行ったネクタイの柄だったり、街の臭いだったり。
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こんばんは>miさん
潮目という言葉がありますけれど、まさにそんな感じですね。自分自身も普通の会社ならば定年退職の歳を越えていますので不思議ではないのですが、神楽坂で起こっていること以外にも自分も含めて同じタイミングでいろいろ起きていて「潮目」を痛いほど感じている秋の夜です。
潮目という言葉がありますけれど、まさにそんな感じですね。自分自身も普通の会社ならば定年退職の歳を越えていますので不思議ではないのですが、神楽坂で起こっていること以外にも自分も含めて同じタイミングでいろいろ起きていて「潮目」を痛いほど感じている秋の夜です。

