2008年 08月 17日
丹下健三からレイライン(チョット無理かな) |
8月16日夜にテレビ東京で放送していた建築家丹下健三に関する番組の中で、広島のピースセンターの建物と原爆ドームとの関係や、代々木体育館と明治神宮との配置上の関係を紹介しておりました。これを見ながら、都市や建築を創る人間というのは、やはり軸にこだわるのだなと、腑に落ちた感じです。
まぁ、無理矢理「高千穂のレイライン」に結びつけようと言う気持ちも無いのですが、いつの時代にあっても、建物を建てたり、なにかの目的のためのもの構築し、その配置を決めるときに、そうした意図というのはあると考えても良いのだと思うのです。ここまでは普遍性のある事なのではないでしょうか。
ただ、それを具体的に証明する証拠というのは、歴史を相当さかのぼる場合、例えば、「古代」とか「上代」という冠が付く場合、そのほとんどが遺構として地図上に残っているものか、遺構の上に現代まで続く何かの残渣でしかありません。なぜそれが其処にあるのか、という文脈をそれ自身には一切含まず、遺構という記号的存在にまでそぎ落とされていることの方が多いでしょう。
だから、と言うこともないでしょうが、古代思想や、宗教、呪術的伝承の文脈を当てはめて、その文脈を再構築しようと言う人は次々と登場するということでしょうね。記号的、表徴的なものに肉付けし再構築された新たな文脈は、援用された文脈の欠陥や、読み取り手の誤り、などの所作が織り込まれたものとなります。これに気づいていれば、再構築された文脈達に大きな不幸はありません。
さらに、もっと重要なことに、記号は読み取り手のもつ記号に対峙する文脈の中で意味を生じています。ロールシャッハテストの、花瓶の絵などは良い例でしょう。花瓶と見るか、向かい合った人の顔と見るか、あるいはさらに別の意味あるものか、見え方は観察者の知覚に依存する事例などがわかりやすいかもしれません。
さらに、これに加えて、偶然の組合せが、記号化する事例もあるかもしれませんね。たぶん想定以上にこのウエイトは重いのではないかと思います。
レイライン探しのようなものは、こういう様々な織り糸で織り上げられたタペストリーのようなものです。織り手の、想像力の中にある創作物ですから、そう読み、それを楽しめば良いのではないかと、正直思うのです。
ある人がボクに「私は信じないけれど、考えるのは、自由ですよね。思想信条の自由と、表現の自由は日本の法律で認められているから」なんて、話してくれましたが、法律なんていう下世話な表現で納めるより、楽しんだ方が良いと思うのです。茂木健一郎のアハ体験ではないですが、思いつきへの楽しさなのかもしれません。所詮それは、歴史の答えではなくて現代人の真実への憧憬であり、創作なのですから…
秋葉@ゑこう

まぁ、無理矢理「高千穂のレイライン」に結びつけようと言う気持ちも無いのですが、いつの時代にあっても、建物を建てたり、なにかの目的のためのもの構築し、その配置を決めるときに、そうした意図というのはあると考えても良いのだと思うのです。ここまでは普遍性のある事なのではないでしょうか。
ただ、それを具体的に証明する証拠というのは、歴史を相当さかのぼる場合、例えば、「古代」とか「上代」という冠が付く場合、そのほとんどが遺構として地図上に残っているものか、遺構の上に現代まで続く何かの残渣でしかありません。なぜそれが其処にあるのか、という文脈をそれ自身には一切含まず、遺構という記号的存在にまでそぎ落とされていることの方が多いでしょう。
だから、と言うこともないでしょうが、古代思想や、宗教、呪術的伝承の文脈を当てはめて、その文脈を再構築しようと言う人は次々と登場するということでしょうね。記号的、表徴的なものに肉付けし再構築された新たな文脈は、援用された文脈の欠陥や、読み取り手の誤り、などの所作が織り込まれたものとなります。これに気づいていれば、再構築された文脈達に大きな不幸はありません。
さらに、もっと重要なことに、記号は読み取り手のもつ記号に対峙する文脈の中で意味を生じています。ロールシャッハテストの、花瓶の絵などは良い例でしょう。花瓶と見るか、向かい合った人の顔と見るか、あるいはさらに別の意味あるものか、見え方は観察者の知覚に依存する事例などがわかりやすいかもしれません。
さらに、これに加えて、偶然の組合せが、記号化する事例もあるかもしれませんね。たぶん想定以上にこのウエイトは重いのではないかと思います。
レイライン探しのようなものは、こういう様々な織り糸で織り上げられたタペストリーのようなものです。織り手の、想像力の中にある創作物ですから、そう読み、それを楽しめば良いのではないかと、正直思うのです。
ある人がボクに「私は信じないけれど、考えるのは、自由ですよね。思想信条の自由と、表現の自由は日本の法律で認められているから」なんて、話してくれましたが、法律なんていう下世話な表現で納めるより、楽しんだ方が良いと思うのです。茂木健一郎のアハ体験ではないですが、思いつきへの楽しさなのかもしれません。所詮それは、歴史の答えではなくて現代人の真実への憧憬であり、創作なのですから…
秋葉@ゑこう
by akiba-echo
| 2008-08-17 15:06
| マイブーム
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