2008年 10月 22日
熊本県・相良村山口谷の廃坑(地形図を遊ぶ) |
少し前のお話しですが、ずーっと以前から気になっていた、熊本県相良村の廃坑近くを、はからずも、散歩してきました。
所用で、相良村からは隣町の人吉に出かけたのですが、余り自慢出来ない理由で、廃坑探索散歩に丁度良い空き時間ができてしまったのでした(苦笑)
もちろん、近傍には観光地として名の知れた場所も、結構ありますが、時間が空いた瞬間、地図の鉱山マークがアタマの中心をよぎりました。 もっとも、出かける前は、そんなこと考えてもいなかったので、手持ちの地図もありません。しかたなく、宿から出て、移動に借りたレンタカーの中で、ノートパソコンを国土地理院地形図サイトに接続し、地形図を開き、取りあえず、廃坑への道のりをアタマに焼き込んで、ついでに、ハンディGPSに廃坑の位置(緯度経度)を登録したのではあります。ただし、アタマに焼き込んだはずの地図はすぐに揮発していましたけれどね(笑)
ちなみに、この廃坑は、おそらく「三陽鉱山」といって、明治末期から昭和18年まで、昭和鉱業という会社が採掘していた鉱山のようです。インターネットで検索して見つけた、地質調査所月報,第31巻第2号,P・73-91,1980「九州における四万十帯中の含銅硫化鉄鉱床,特にその胚胎層準について」という論文に、相良村の鉱山として1つだけ記載されている鉱山がありました。他に相良村に鉱山はないようなので、たぶん、この「廃坑」となっている鉱山マークがそれなのでしょう。(「三陽鉱山」でした※追記ご覧ください)
偶然ですが、その日の夜、相良村で教鞭とられていたことのある現役の先生と食事をしながら話す機会がありましたが、鉱山があったこと自体を知りませんでした。地元の産業史や地誌学としてはそれなり大切なことではないかと、よそ者は思ったりするのですけれどね。つまらないことなのかもしれませんね。面白いのになぁ… 地形図にある廃坑の記号は山口谷という渓谷の奥にあります。山口谷は、ダム建設是非で話題になった川辺川ダムの少し下流の右岸(下流に向かって右側)に流れ込む渓谷です。
谷沿いはいくつか集落があり、途中よく管理された茶畑などがあります。おいしい茶葉が育ちそうな谷間です。沢の流れもフライフィッシングには良さそうな渓相です。
今回は、林道を走れる車ではなかったので、舗装道路の続くころまで車で走り、そこから徒歩で、GPSを頼りに進むこととしました。廃坑の記号のある場所まで、GPSの表示は直線距離で1.2kmほど、2倍として往復4~5kmくらいとふんでの出発です。町歩きの格好で、手にGPSを持っているだけの軽装でしたので、林道以外は歩かない心つもりでのスタートです。 途中、沢の対岸に、数戸の民家を見かけたりしています。こちらからは徒歩でしか行けず、思い切りスリル満点の釣り橋があります。床板の腐食と手すりの鉄アングルの挫屈になんとも言えない恐怖感がありますね。
結局のべ6km程の行程で、もっとも近接したのが、GPSの表示で246mの表示の出た沢の出合いです。草が茂っていて、踏み跡さえ判別出来ない状況で、廃坑マークまではたどり着けませんでした。でも、今回はこれでよしとしましょう(笑) 地図の廃坑そばの沢の出会いは、草が生い茂り、そこからから奥へ入る、踏み跡があるかないか分からない状態です。出かけるなら冬から春先、草の枯れている時期がベストでしょうね。
もしかしたら、等高線沿いに踏み跡アタリがあるかもしれないなぁなどと甘く考えて、沢の出合いを超えて、林道を暫く歩き続け、スタート地点から3キロ程の位置まで進み、折り返しています。
ディープなミネラルマニアではないので、どんな鉱石が入手出来るのかよく分かりませんが、ズリ(採鉱した鉱石くず)などが残っていれば、楽しいかもしれません。鹿とすれ違い、林道脇で白い石英質の石のかけらを一つ拾って帰ったのではあります。地形図をイメージしながら、そこそこ楽しいひとときでありました。
秋葉@ゑこう
※追記です。
その後、熊本県三陽鉱山調査報告書(稲井信雄 地質調査所月報第8巻6号)というこの鉱山そのものに関する文献があることがわかりました。この廃坑は間違いなく「三陽鉱山」のようです。一旦昭和18年に休山した後、昭和24年に東邦鉱業、昭和27年にラサ工業の所有となり、しばらくは採鉱していたようです。この報告書に、昭和29年に銅鉱と、硫化鉄鉱を売上げた記録が掲載されています。山の中に1000m以上の坑道が掘られているようです。
所用で、相良村からは隣町の人吉に出かけたのですが、余り自慢出来ない理由で、廃坑探索散歩に丁度良い空き時間ができてしまったのでした(苦笑)
もちろん、近傍には観光地として名の知れた場所も、結構ありますが、時間が空いた瞬間、地図の鉱山マークがアタマの中心をよぎりました。
ちなみに、この廃坑は、おそらく「三陽鉱山」といって、明治末期から昭和18年まで、昭和鉱業という会社が採掘していた鉱山のようです。インターネットで検索して見つけた、地質調査所月報,第31巻第2号,P・73-91,1980「九州における四万十帯中の含銅硫化鉄鉱床,特にその胚胎層準について」という論文に、相良村の鉱山として1つだけ記載されている鉱山がありました。他に相良村に鉱山はないようなので、たぶん、この「廃坑」となっている鉱山マークがそれなのでしょう。(「三陽鉱山」でした※追記ご覧ください)
偶然ですが、その日の夜、相良村で教鞭とられていたことのある現役の先生と食事をしながら話す機会がありましたが、鉱山があったこと自体を知りませんでした。地元の産業史や地誌学としてはそれなり大切なことではないかと、よそ者は思ったりするのですけれどね。つまらないことなのかもしれませんね。面白いのになぁ…
谷沿いはいくつか集落があり、途中よく管理された茶畑などがあります。おいしい茶葉が育ちそうな谷間です。沢の流れもフライフィッシングには良さそうな渓相です。
今回は、林道を走れる車ではなかったので、舗装道路の続くころまで車で走り、そこから徒歩で、GPSを頼りに進むこととしました。廃坑の記号のある場所まで、GPSの表示は直線距離で1.2kmほど、2倍として往復4~5kmくらいとふんでの出発です。町歩きの格好で、手にGPSを持っているだけの軽装でしたので、林道以外は歩かない心つもりでのスタートです。
もしかしたら、等高線沿いに踏み跡アタリがあるかもしれないなぁなどと甘く考えて、沢の出合いを超えて、林道を暫く歩き続け、スタート地点から3キロ程の位置まで進み、折り返しています。
ディープなミネラルマニアではないので、どんな鉱石が入手出来るのかよく分かりませんが、ズリ(採鉱した鉱石くず)などが残っていれば、楽しいかもしれません。鹿とすれ違い、林道脇で白い石英質の石のかけらを一つ拾って帰ったのではあります。地形図をイメージしながら、そこそこ楽しいひとときでありました。
秋葉@ゑこう
※追記です。
その後、熊本県三陽鉱山調査報告書(稲井信雄 地質調査所月報第8巻6号)というこの鉱山そのものに関する文献があることがわかりました。この廃坑は間違いなく「三陽鉱山」のようです。一旦昭和18年に休山した後、昭和24年に東邦鉱業、昭和27年にラサ工業の所有となり、しばらくは採鉱していたようです。この報告書に、昭和29年に銅鉱と、硫化鉄鉱を売上げた記録が掲載されています。山の中に1000m以上の坑道が掘られているようです。
by akiba-echo
| 2008-10-22 18:43
| 旅の話し
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