2008年 11月 24日
「無常迅速」「歳月不待人」「日月擲人去」 |
萬福寺の寺内には、至る所に、「巡照板」という厚板がぶる下げてあります。巡照板には、謹白大衆
生死事大
無常迅速
各宣醒覚
謹莫放逸
謹んで大衆に白す
生死は事大にして
無常は迅速なり
それぞれ宜しく醒覚すべし
慎んで放逸すること勿れ
と書かれていて、大抵打ち鳴らす撥(ばち)棒のあたるところの文字が擦れていて、それが朝夕に打ち鳴らされていることを知ることができます。
巡照板にある一節の意味は
謹んで大衆〔修行者〕に申し上げる、

生死は仏の一大事
時は無常に迅速に過ぎ去っていくから
各人はこのことに目覚めて、
弁道精進につとめ、無為に過ごしてはいけない
ということだそうです。
このところ手探りで読み進めている「陶淵明」の漢詩から胸に突き刺さったままの「歳月不待人」(歳月人を待たず)や「日月擲人去」(日月人を擲<なげうち>ちて去る)という言葉たちに「無常迅速」が響き合い、「時」の経過の厳しさがひしひしと、巡照板から打ち出るの音のように、ココロに鳴り響いているのかもしれません。
そして、その音を吸い込むように、本堂に鎮座するご本尊の頭上に掲げられた「真空」の二文字が、また音のない残響のように心に残りますね。
秋葉@ゑこう
by akiba-echo
| 2008-11-24 06:39
| 旅の話し
|
Comments(2)
先日にコメントを頂き、ありがとうございました。
ここの「無常迅速」ゆえに「謹莫放逸」のくだり、別記事に書かれた陶淵明の雑詩とは、いくぶん思考ロジックが異なっているように見受けられ、おもしろいですね。
ところで、写真を拝見する限り、文字が擦れていると言うより、ほとんど判読不能になっていませんか?
いや、よく文字が読めましたなあ、と単純に感心しただけです...
ここの「無常迅速」ゆえに「謹莫放逸」のくだり、別記事に書かれた陶淵明の雑詩とは、いくぶん思考ロジックが異なっているように見受けられ、おもしろいですね。
ところで、写真を拝見する限り、文字が擦れていると言うより、ほとんど判読不能になっていませんか?
いや、よく文字が読めましたなあ、と単純に感心しただけです...
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コメントありがとうございます。別な場所にきちんと清書した張り紙がありまして、そちらから記録しております。写真を撮影した後、いろいろ調べてみたのですが、この一節は、禅寺には共通のものらしいですね。
確かに禅寺の「無常迅速」と陶淵明の「日月~」などだいぶ立ち位置が違いますね。個人的には陶淵明のなげやりな感じがすきですけれど(笑)
自分にとって、時の流れが、ちょいと切実な中で、響くものが多いということでしょうか。歳ですかね。
確かに禅寺の「無常迅速」と陶淵明の「日月~」などだいぶ立ち位置が違いますね。個人的には陶淵明のなげやりな感じがすきですけれど(笑)
自分にとって、時の流れが、ちょいと切実な中で、響くものが多いということでしょうか。歳ですかね。

