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循環するココロ
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![]() 年の瀬も押し迫ってまいりました。毎度のことながら、一年の早きことを恨みつつ今年のことなどを月並みに振り返っております。 この一年、所用があってならすと隔月くらいの頻度で人吉を訪問しておりました。空港行き帰りの寄り道の回数も多かったということですね。そんなこんなで、鹿児島県北部などは寄り道ルートの一つで、出水市などは何度か通過しております。 この11月に人吉を訪問した際は、夕方の食事中に隣にいらした方が出水市の隣の阿久根町の方で、地元話を愉しませていただきました。そんなことや通り抜けた町をのことなど思い返していて、なんとなく「出水兵児修養掟」のことを思い出しましたので、忘れないうちにメモ代わりにアップ。 これ、地元ではよく知られているというか、大切にされている一文なのです。市役所のホームページにも見出しをたてて紹介されております。なかなか良いですね。 出水兵児修養掟(いずみへこしゅうようおきて) 士は節義を嗜み申すべく候。 節義の嗜みと申すものは 口に偽りを言ハず身に私を構へず、 心直にして作法乱れず、 礼儀正しくして上に諂らハず下を侮どらず 人の患難を見捨てず、己が約諾を違へず、 甲斐かいしく頼母しく、 苟且(こしょう)にも下様の賎しき物語り悪口など話の端にも出さず、 たとえ恥を知りて首刎ねらるゝとも、己が為すまじき事をせず、 死すべき場を一足も引かず、 其心鐵石の如く、又温和慈愛にして、物の哀れを知り 人に情あるを以て節義の嗜みと申すもの也。 口語訳 人は正しいことをしないといけない。 正しいこととは、うそを言わないこと、 自分よがりの考えをもたないこと、 素直で礼儀正しく、 目上の人にぺこぺこしたり 目下の人を馬鹿にしたりしないこと、 困っている人は助け、 約束は必ず守り、 何事にもいっしょうけんめいやること、 人を困らせるような話や 悪口などを言ってはいけないし、 自分が悪ければ首がはねられるようなこと があっても弁解したり恐れたりしてはいけない、 そのような強い心を持つことと、 小さなことでこせこせしない広い心で、 相手の心の痛みが分かるやさしい心を持っているのが、 立派な人と言えるのです。 原文テキストと口語訳は出水市市役所のサイトから借用です。 いいですねぇ。 秋葉@ゑこう ▲
by akiba-echo
| 2015-12-23 16:06
| 独り言
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Comments(4)
![]() 長男は今年3月で大学卒業予定、次男は大学3年目。いずれも、就活中なのではありました。「就活」については、昨今、大夫厳しいというのが、一般的な見方なのでしょう。 確かに、長男は、通常サイクルの中では落ち溢れるどころか、なかば諦めて居るようなそぶりでつい最近まで過ごしていたのではあります。まぁ、それも、さすがにいけないと反省したのか、正月過ぎから態度を変えて身の丈の仕事先を探し、なんとか無職は回避できそうな雰囲気にはなり親としてはホットしつつあるのではありました。 次男はと言えば、企業の正規の採用活動開始が4月スタートと言うことらしく、それに向けて、色々根回し中のようで、OBやら、OB以外人脈でも、あるものはたどって、人づてに色々な企業へ足を運んでいるようです。 この二人の就活を眺めながら、就活格差ということばを実感しております。端的には企業からのDM、それに説明会のこと、大学のOB人脈というネットワークでしょうかね。 いずれも、私大文系に通っていますが、首都圏私大文系の妙なランキング仕訳でいうと、上は第3グループ、下は第1グループです。本人が依頼しているのかも知れませんが、次男宛に届くDMはなかなかの企業ばかりです。説明会も、よく名前を聞く企業担当者がゼミや、所属している大学の委員会などに企業担当者が足を運び小規模な説明会をしてくれる、とういう話しを聞くのに対して、長男にはそんな話し一切無し。まぁ、本人のやる気の問題も在るでしょうけれど、スタートがずいぶん違っているのは明白です。取りあえず受験という壁を乗り越えた、と言うことの格差なのでしょうけれど、やっぱり考えさせられる光景なのではありました。 仕事を始めた先の話しなんて言うのは、本人の才覚の問題でしょうから、まぁ、それは先の事として、就活だけを眺めれば、格差はさておいて、そう言う経験は何度も出来ることでもないし、結果はともあれ、自分のスケール感の中でしっかりと体験しておいて欲しいとは思うのでありました。ま、親とはいえ所詮外野なので、お気軽に眺めるしかないですしね。 就活も採用試験も未経験な親としては、見方を変えると、なんだか楽しそうで羨ましい体験していると思うのでありました(笑) 秋葉@ゑこう ▲
by akiba-echo
| 2012-01-22 18:18
| 世の中の出来事
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Comments(6)
![]() あれま、これは厳しい。 生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人 何年か前に出かけた、黄檗宗万福寺に掛かっていた巡照板にも似たような文がありましたね。 謹白大衆 生死事大 無常迅速 各宣醒覚 謹莫放逸 こんなのもありました(苦笑) 「差し当りたる、目の前の事のみに紛れて、月日を送れば、事々成す事なくして、身は老いぬ」 いたたたた。。。ま、でも当然と言えば当然、うけいれませう。 「一時の懈怠、即ち一生の懈怠となる」 徒然草188段の一節だそうです。 年度明けと思ったのがつい最近なのにもう9月末、上期も終わりです。 まぁ、最近は、淡々と停滞しているので、慌てることもないのですが、上期の結果は×ですなぁ(苦笑) 秋葉@ゑこう ▲
by akiba-echo
| 2011-09-29 05:06
| 独り言
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このところ、無気力な日々を重ねて、息抜きのブログからも遠ざかっております。なんとも冴えない日々の積み重ね。そんななか、先日、東洋思想や宗教学とくに仏教の研究者として名高い、中村元さんのビデオなど目にして、まったく牛のごとき生き様と、ここ数日は、しきりに反省する振りをしてはいるのでありました。ふりぢゃぁダメですけどね。
そう言えば、当方の事務所の窓の正面は神田明神。その参道脇、外神田2丁目に、中村元先生の創立した、東方研究会・東方学院東京本校があります。今の事務所に移ってきたときから、近いし公開講座でもと、ちょっと気にしながら、6年経っている今日この頃なのではありました。 なにも考えたくないので、食べて寝ているような物ですが、確実にメタボっておりますな(笑) 秋葉@ゑこう ▲
by akiba-echo
| 2010-10-11 23:29
| 独り言
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この2週間ほど、遅れた仕事に新しい仕事が重なってしまい少々無理をしたのではあります。ただ、無理をしたけれど、「無理」に持ち込んでしまった自分の力不足も否めないわけで、心身の疲労に重ねて、気持ちの上でも少し疲れてしまっています。そんなこんなで、昨日の土曜は一切仕事せず、わずかな時間仕事部屋に居ただけで、完全休日に近い状態に。
![]() のんびりと昼前にM介といつもの公園に行くも、曇り空にそれほど気分も晴れず、夕方からのこぬか雨に、ままよと濡れる覚悟で夕方の散歩。一夜明けた日曜の朝も、雨の中を散歩です。家に帰って、M介の濡れた身体を洗ってやり、濡れた身体を乾かすまで、しばらくM介を構っておりました。 午後になって、そろそろこののんびり気分を切り離すために、キーボードに向かって、これをパチパチ。指の準備運動のようなものでしょうか、ただまとまらず、仕事の合間に気分転換がてらパチパチしていたのではありました(苦笑) この記事のタイトル「雨過ぎて夜塘に秋水深し」は『碧巌録』という公案集の三七則「盤山三界無法」の頌にある、有名な公案(禅宗の僧侶師弟が悟りを開くためのやりとり)の中の一節です。 三界無法 何處求心 白雲為蓋 流泉作琴 一曲兩曲無人會 雨過夜塘秋水深 「白雲為蓋、流泉作琴」からこの公案を知りましたが、後の一節が昨夜の気分ではありますね。 塘は「とう」北海道の塘路湖などの地名で使われていますが、池の堤の意味なのだそうです。熊本にもこの文字を使った地名が多いようですね。 雨が降って、夜の堤に秋の水が深くたまっている、なんて、なかなか心地よい表現ではあります。昨夕からの雨は、ヒンヤリとした秋の空気を運んでいますけれど、まったく、「雨過夜塘秋水深」なのではありました。もっとも公案の深い意味はまた別にあると思いますけれど… 秋葉@ゑこう ▲
by akiba-echo
| 2009-10-25 18:01
| 独り言
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![]() M介と散歩をすれば、萌葱色の若葉に心惹かれて、無邪気に春を喜びますが、春は春なりに、芽生えと対称の位置にある何かを感じてしまうのですね。そんなことを考えてしまう、夜は、嫌だなぁ… そう言えば、去年の秋、マイブームだった陶淵明さんの「歸去來兮辭」の三段目の終わりの一節。 木欣欣以向榮 木は欣欣(きんきん)として 以て榮に向かひ 泉涓涓而始流 泉は涓涓(けんけん)として 始めて流る 羨萬物之得時 萬物の 時を得たるを羨み 感吾生之行休 吾が生の 行くゆく休するを感ず ひどい意訳かもしれませんが、「木が芽吹いて、雪解け水が流れ、いろいろと(春は)にぎやかになっていいなぁ。でも(また春が巡ってきたから、その分)自分の人生は終わりに近づいているよね。」ってな感じで春のにぎわいも、また、時の流れの兆しの一つで、時が流れる=歳を取る=もうじき人生も終わりかぁ、なんてね(苦笑) 「無常迅速」と頑張るか、「日月擲人去」とただ受け流すか、迷うところではありますね。 …などとボーッとするなら「手を動かせ」と プラグマティックなもう一人の自分は言っております(苦笑) 秋葉@ゑこう ▲
by akiba-echo
| 2009-03-03 03:21
| 独り言
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![]() 昨日から仕事に気合いが入らず、家でのらりくらりでありました。宿題山積であるのになんたることかと、夜半にかなり強いウツな気分の嵐です(苦笑) 客観的に見れば、自分で逃げていて、その結果に、自分で怯えている、ドーしようもなく弱い人間なのだということでしょうかね。 まぁ、一緒に働いている皆さんには大変申し訳ないけれど、責任と能力不足の間の葛藤によって生じるストレスは意外と大きくて、それに潰れぬための、ガス抜きということにしておきます。(とほほ) そんなこんなで、雑用を済ませた昼過ぎに、最近お気に入りのtamaixちゃんのブログを冷やかして、コメントしたあと、彼女が唄っているyoutube(コメントしたとき"tuve"なんて綴りを間違えてしまったのでチョー恥ずかしい)の動画などしばらく眺めまったりした後、少し仕事モードに復帰したものの、あれこれ考えていて、考えがまとまらず日は暮れていったのではあります。 そんな中、仕事の関連をWEBでググっていて、横道にそれ、ロバート・B・ライシュ著「ザ・ワーク・オブ・ネーションズ―21世紀資本主義のイメージ いくつかのWEB上の情報などを覗いてみると、20年ほど前にライシュという人の書いたこの書籍に「本質的な観点から見て、競争的な立場の異なる職業に対応した、三つの大まかな職種区分が生まれつつある。この三つとは、「ルーティン・プロダクション(生産)・サービス」、「インパースン(対人)・サービス」、「シンボリック・アナリティック(シンボル分析的)・サービス」である。」 と記述してあるようです。 箇条書きにまとめると… (1)ルーティン・ワーク従事者 (2)対人サービス従事者 (3)シンボリック・アナリスト ですね。 (3)はチョットわかりにくくて、いろいろなWEB上の情報をまとめると、シンボリック・アナリストは、情報、文化、言語、音楽、映像などのシンボルを操作して、グローバルに人と人、組織と組織、企業と企業を結びつけ、高付加価値を創造する職種の人、のことらしいのです。 ここで余り説明しても、疲れてしまうので、細かなところは、ググって調べてください。書名で検索しただけでも沢山の検索結果が得られます。意外と沢山の方が関係の情報をアップされています。 入り口となった、「沈み行く船」に乗ってしまった人々というタイトルのブログ記事では、ライシュの主張として、(3)のシンボリックアナリストの人たちに富が集中して行き、(1)と(2)の職種は、「沈み行く船」なのだとまとめております。 だから、国としてもシンボリックアナリストを育てて行かなければ、繁栄は望めないし、個人としてもその道を選ばないと、結局じり貧なんだ、という論旨のようですね。20年前の予測の様ですが、現在の状況を良く言い得ているところもあるようで、また、取り上げられているのでしょうか。 確かに、そう言う付加価値の高い人たちが必要なのは、よくわかるのだけれど、そういう人ばかりで、世の中成り立たないのですし、そこに富を片寄らせて良いかというと、そうでもないような気もする今日この頃ではあります。 竹に上下の節でもないですが、下があって上がある、上ばかりでは上も無し、上は下があることを知り、「沈み行く船」など作らない上の人が溢れるとよろしいのかと願って止みませんね。 秋葉@ゑこう ▲
by akiba-echo
| 2009-01-16 23:30
| 独り言
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![]() 外向きには、9日間の年末年始の休み。その間に済ませようと思ったことはほとんど消化出来ず。結局、明朝からまたいつもの仕事モードです。9日間はいったいナンだったのかと、新年早々反省しつつ軽くブルー(苦笑) そんな気持ちを引きずりつつ、「日月還復周」などと頭の中で呟きながら昼の月を仰いでおりました。 日月還復周(にちげつなおまためぐるれど) 我去不再陽(われさればふたたびはあらわれず) 眷眷往昔時(けんけんたり、おうじゃくのとき) 憶此斷人腸(これをおもえばひとのちょうをたたしむ) (陶淵明 雑詩 其三より) そこまでは、ブルーではないですけれど、軽くブルーな、仕事初めの前夜ではありますね。 さて、今年一年また頑張らねば… 秋葉@ゑこう ▲
by akiba-echo
| 2009-01-05 00:10
| 独り言
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![]() なんとなく、その松を眺めながら思い出したのが「松樹千年翠」(しょうじゅせんねんのみどり)。もう一つあったな、と、後でググって「ああ、これこれ」というのが「松無古今色」(まつにここんのいろなし)。これは「竹有上下節」(たけにじょうげのふしあり)と対句ではありますね。 寒風の中、青松の如く、今年一年かくありたいと願いつつ… 謹賀新年、ではあります。 秋葉@ゑこう ▲
by akiba-echo
| 2009-01-01 01:01
| 独り言
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Comments(2)
まぁ、一見落ち着いて、のんびりした雰囲気の今日ですが、ちょっとココロの奥では、中波小波ではあります。ここ数日、少し嬉しいこともありましたけれど、嫌なこともいくつか重なった数日でした。
街歩きの途中、小伝馬町近くのお寺の壁に ![]() 腹が立つのは 相手が悪いからではなく 腹を立てる自分があるからだと 思って生きてみよう と標語が書いてある、ポスターが貼ってあったけれど、やっぱり、困った相手には、腹が立つ自分ではあります(笑) まだ、きっと、修行が足りないですね。 もう一度、お大師様と同行二人の旅(遍路)でもしないといけないかな… 秋葉@ゑこう ▲
by akiba-echo
| 2008-12-23 14:24
| 独り言
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